洗脳とマラソン written by 池上秀志

洗脳とマラソン written by 池上秀志

洗脳とマラソン

私のセミナーに参加してくださったり、著作を読んでくださっている皆さんはもうお分かりだと思いますが、自分の力を最大限に発揮する心の使い方は「自分の現状の外側に目標を設定し、精神的な意味合いでそれを自分の当り前の世界にすること」です。理論としては、物凄く簡単で、何故これが自分の力を最大限に発揮するのかということも著書『これから結果を出す人のための自信の作り方』の中で詳しく解説していますが、これだけ単純な理屈にもかかわらず、同じ理論を信じているコーチたちの中で大きな差が生まれているのは、自分の現状の外側に設定した目標が達成した世界に臨場感を感じる=思い込むという部分が一筋縄にいかないからです。一筋縄にいかないというのは、特別難しいというよりは、人によって適したやり方が異なる上に、心の中まで見えないので、その人がその世界にどれだけのリアリティを感じているかは、外部の人間からはよく分からないからです。
特に日本人は本音と建前を使い分けて話しているので、どこまで口だけで、どこから腹の底から確信したことを話しているのかよくわかりません。洗脳という現象を最も簡単に理解する方法は、全国高校駅伝で活躍する強豪校の練習を見に行くことでしょう。特に女子です。ご自身が強豪校の出身という方はよく分かっていただけると思いますが、強豪校の先生というのは生徒に思い込みを作る術にたけています。「自分たちは強い」、「自分たちなら全国高校駅伝で優勝できるんだ」という強い思い込みのことです。
逆に、強豪校出身の選手は大学や実業団に入ると洗脳がとけてしまい、急に「今までの自分は何だったんだろう?」、「高校時代の先生無しじゃ走れない、今の指導者は自分に合っていない」と思うケースもあります。
洗脳という強力な力は勝負に生きる人間には必要不可欠と言ってよいでしょう。それがどのような種目であれ、レベルが上がれば上がるほど、肉体的なレベルは似たり寄ったりですから、思い込みが強ければ強いほど僅差の戦いでは勝つ可能性が高くなります。また、長期的な視点で見ると差はもっと大きく、それが何であれ、ある思い込みに基づいて10年競技を続けている場合、その思い込みの影響を強く受けます。
さて、詳細はこの記事の後半に譲るとしてまずは、洗脳というものを詳しく見ていきましょう。

2.洗脳とは何か?

朝鮮戦争において、米軍捕虜は史上最大規模の死者数を記録しました。これは中国共産党による思想の介入的操作が行われたからであるとされ、共産主義の優位性を刷り込むだけでなく、捕虜の配偶者からの偽の離縁状や仕事の解雇通知、手形の不渡り証明書などを繰り返し見せつけました。それを真に受けた捕虜は獄の隅っこに移動し、頭から毛布をかぶると10代後半から20代の若者が1週間も経たないうちに、目立った病気もなく死亡してしまいました。この時の中国共産党の心理的な介入操作をアメリカのジャーナリストであるエドワード・ハンターが著書の『Brain-washing in Red China』で紹介しました。このBrain washingという言葉が日本語の洗脳になっている訳です。
ここからもわかる通り洗脳という言葉はかなりネガティブな意味合いで使われる言葉です。洗脳という言葉からネガティブな意味合いをとると、啓蒙という意味になると私は考えています。啓蒙という言葉は分別のついていない子供や理性の発達していない未開の人間たち(差別的表現ですが、啓蒙は17世紀ごろからある言葉だからです)を教え導くことを意味します。このように見ていくと教育が洗脳ではなく、啓蒙という言葉で表現されることがわかるでしょう。若しくはそのようなまどろっこしい書き方をしなくても、教育と洗脳は別だということが何となく分かっていただけると思います。
但し、これは何が洗脳であるかという問いには何も答えていません。啓蒙や教育にネガティブな意味合いを持たせたものが洗脳であるならば、何が洗脳であり、何がそうでないかは発話者の主観によって変わります。
例えば、我々西側の人間、若しくはソ連崩壊後に生まれた人間からすれば、共産主義諸国が一種の洗脳の上に成り立っていたという認識になりますが、当時の共産主義国の人間からすれば、あれは立派な教育であり、啓蒙でした。教育が正当化される根拠はまだ分別のついていない子供は自分の頭で判断する能力がないので、そのような状態で下される自由は本当の意味での自由ではない、だから本当の意味での自由を下せるようになるまでの分別がつくまで強制的に導いてあげなければならないというものです。
共産主義国での洗脳も基本的にはこの論理に基づいており、十分に理性の発達した人間なら共産主義に賛同するはずだ、全国民が共産主義に賛成しないのはまだ彼らの理性が発達していないからであり、我々が国民を教化する必要がある、そのために自由を制限するのもしかたない、理性が発達していない国民たちが資本主義になびくのは本当の意味での自由な判断ではなく、彼らも充分に理性が発達した後には我々と同じ決断を下すだろうというのが論拠です。
このように、見ていくと何が洗脳で、何が啓蒙や教育であるかはかなり主観による部分が大きいのですが、ここに触れることはここでの主題ではないので、この記事においてはとりあえず、ある思い込みを形成することを洗脳というふうに定義しておきます。

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3.現代日本の洗脳

朝鮮戦争時の捕虜収容所や共産主義国の例を出されても自分には関係ないと思っている人が多いかもしれませんが、現在の日本においてもほとんど全員が(私も含めて)洗脳されていると言って間違いありません。
簡単な例で言えば、もし私が「アドルフ・ヒトラーこそ真の民主主義の体現者である」といったら、皆さんは私のことを間違ったことを正当化しようとしている詭弁者であると思われるでしょう。ここにはある洗脳がいくつか仕掛けられています。アドルフ・ヒトラー=悪・民主主義=善という思い込みから来る矛盾、アドルフ・ヒトラー=独裁者・独裁政治=悪という思い込みから来る矛盾です。
少し考えてみればわかることですが、民主主義とは単に多数決で政治的な意志決定を行うということであり、民主主義が正しい結論を導くかどうかは、多数派の意見が何かに依存します。日本で言えば、戦前の共産主義者への不当な逮捕・財産没収・拷問も当時の多数派の意見であり、大東亜戦争も決して一部の軍人の意志ではなく国民の大半の意志でした。また独裁政治と民主主義も両立しうるものであり、ドイツ国家社会労働党は民主的な選挙によって選ばれ、民主的に全権委任法を可決し、独裁政権が誕生しました。また独裁政治=悪という訳でもなく、独裁政治というのは単に一人の人間が全権若しくは多くの権限を持つというだけに意味で、それが善か悪かはその独裁者がどのような政治をするかに依存します。孔子に独裁政治をさせれば、善い世の中になる可能性もある訳です。
ですから、「アドルフ・ヒトラーこそ真の民主主義の体現者である」と私が言った時、反射的にそれは間違ってると思った人は学校教育に洗脳されていると思った方がいいです。勿論、反論があっても当然だと思いますが、ほとんどの人は何も考えずにヒトラーと民主主義は相容れないと思い込んでいるでしょう。
私が先ほど書いたドイツ国家社会労働党で躓いた人もいると思いますが、これはいわゆるナチ党です。ナチ党とは Nationalsozialitische Deutsche Arbeiterpartei のnationalの部分をドイツ語読みで省略したものです。当然これは英語のnationalであり、国家のという意味です。単に国家という意味の言葉にここまで悪い含みを持たせたのも一種の洗脳でしょう。大東亜戦争が理解できない人も太平洋戦争と言えばお分かりいただけると思いますが、これもGHQのWGIP(war guilt information program)という戦後の日本人に罪悪感を持たせ、戦前の行いは全て間違っていたという洗脳プログラムに従って、大東亜戦争を太平洋戦争と言い換えさせたものです。
私は今この文章をかなり中立的な立場から書いているつもりであり、実際どこにもヒトラーは正しかったとか、戦前の日本は正しかったとか書いていませんが、この文章を読んで私がヒトラーを肯定しているとか、ネオナチなんじゃないかとか、右翼じゃないかと思った人が多ければ多いほど、それは日本の学校教育によってそのような洗脳=思い込みが作られているからです。

4.再び洗脳とマラソン

さて、再び洗脳とマラソンの関係に戻りますが、初めに確認しておくとここで言う洗脳とは一種の思い込みのことであり、ネガティブな意味合いは持たせていません。競技者に必要な洗脳とは現状の外側に設定した目標を達成できる、若しくはもう達成した自分というものを思い込むことです。
但し、誤解されやすいところですが、いわゆる「気のせい」や「気持ちの問題」ではありません。「気のせい」というのは、本当は脚が痛いのに「そんなん気のせいや」とか言われて無かったことにされてしまうことです。「気持ちの問題」というのはコップに水が半分入っていて、半分しか入っていないと思うか、半分も入ってると思うかみたいなのがそうです。前者の例で言えば、脚が本当に痛い訳ですし、後者の場合、コップに水が半分という事実自体は変わりません。言うまでもありませんが、このような「気のせい」とか「気持ちの問題」というのは競技者には何の役にも立ちません。
競技者に必要な洗脳とはただ一つ、自分の望む方向にホメオスタシス機能を働かせることが出来るような思い込みです。ホメオスタシス機能や無意識の力は過去の記事に詳しく欠いているので、ここでは詳述しませんが、人間には肉体的にも精神的にもあるべき現状を維持する機能があります。但し、その時々で何があるべき現状かは異なるので、その人の有意識にとって良いものとは限りません。がん細胞が生まれ変わってもがん細胞になったり、貯金残高100万円が普通の人は宝くじに当たったり、遺産相続してもすぐに散在して元の100万円に戻ってしまうのは、その人がそれをどうとらえているかとは関係なく、その人のホメオスタシス機能にとってはそれがあるべき現状だからです。
競技者に必要な洗脳とはこのあるべき現状を自分の思うように変えることです。さて、洗脳や脱洗脳には様々な方法がありますが、教育や思想教育と明らかに違うところは自分で自分を洗脳しないと競技を続ける間、長きにわたってその思い込みを維持することはできないということです。人から洗脳されないといけない人は、自分で意識的に洗脳状態に持ち込んでいるわけではないので、どこかでふと、とけてしまう時がくるものです。また、現実問題指導者との別れもあります。そして、最大の欠点は他人の洗脳に頼ると自分で自分の目標を決めることが出来ないということです。
自分で自分を洗脳するには大きく分けて二つのアプローチがあると思います。一つ目は視覚的にその世界を思い描き、その世界にリアリティを感じることです。私の経験ではスポーツ選手は感覚的に物事をとらえる人が多いので、視覚化する方が適している人が多いように思います。視覚化というのは英語のvisualizationの訳語ですが、これは視覚だけでなく、五感をすべて使うべきです。その時聞こえるであろう音声、匂い、手にしているもの来ているものの感触、何かを口にするのであればその味などリアルに思い描かないといけません。
そして、ポイントは最後にどうなっていたいかだけを思い描くことです。途中はどうでもいいのです。ワールドマラソンメジャーズの総合優勝を思い描くのであれば、その過程であるボストンやニューヨークで優勝する姿を思い描く必要はありません。ワールドマラソンメジャーズの表彰式で大きな銀色の高さ60㎝くらいのトロフィーを受け取り、みんなの前で英語でスピーチして、演壇から見下ろすとコーチホーゲン、トレーナーヴォルフガング・ハイニッヒ、フラオカトリン・ドーレがこちらに向かって微笑みかけ、I really appreciate my coach Dieter Hogen. We won these big races, but none of them could happen without him. (私のコーチに本当に感謝しています。彼無しではなにも成し遂げられませんでした)というところで、コーチホーゲンと目が合って、彼がウインクをするというシーンがリアルに描ければそれでいいですし、寧ろ最後に自分がどうなっていたいかが重要です。
二つ目は、言葉による洗脳です。元オウム真理教信者の脱洗脳の第一人者である苫米地英人博士によると、あれだけマスメディアに異常視されたオウム真理教ですら、最大の洗脳方法は書籍だったと言います。先ほどの民主主義や独裁政治それ自体は良いとも悪いとも言えないに、多くの人が民主主義=善、独裁政治=悪と思い込んでいるのも学校で使われる教科書の影響が大きいでしょう。
私は言うまでもなく、言葉による力を大きく使っています。理詰めと言ってもいいかもしれません。言葉を使う場合、多面的な角度から自分の目標を達成した状況を整理してください。例えば、私は先ほどヴィジュアライゼーションテクニックを説明する時、私の頭の中を見せる訳にいかないので文章にしました。これを頭の中で同じように文章にするのです。また、その目標を達成するにあたって自分に有利になる情報をご自身で集めてください。情報は必ず自分自身で集めてください。洗脳の基本は情報遮断です。ということは自分から自分に有利になる情報を集めにいかない限り、誰かが作った現状の内側にとどまり続けるということです。私が現在コーチホーゲンとマラソンをやっているのを聞いて、「みんな知ってたら他にもそういうことやる人いるやろうな」という人がいますがそれは間違いです。私は自分で自分が信頼できる指導者を探していたから、「アッこの人だ」とピンと来たわけです。現状の中にある情報だけを見るというのは誰か(たいていは親か学校の先生)に洗脳されているわけですから、現状を超えることはできません。
ここからが大切なことですが、洗脳というのはその人の世界でそれが真実であるということです。オウム真理教の信者には麻原彰晃がイケメンに見えていたそうですし、自分の恋人が魅力的に見えるのも一種の洗脳です。オウム真理教の信者に脱会しろと説得する親の顔は悪魔に見えますし、彼女にぞっこんのあいつに「他にもっとかわいい子いるよ」といったところで、何の効果もないでしょう。洗脳というのはこのレベルの確信でなければいけません。もっとすごいヨガの行者くらいになると、心臓の鼓動は一分間に数回が正常だという思い込みを現実のものにしてしまいます。
ですから、言葉で自分を洗脳する場合には、単なる字面の理解にとどまらず腹の底から信じられる情報を集めてください。これが難しい人は自分には無理だという証明を試みてください。この証明は、たいていは、上手くいきません。少なくとも、あなたにはその目標を達成するのが無理ではないという確信が得られるでしょう。「自分を信じられない人は成功しない」というのはある意味間違いで、自分を信じられない人というのは、自分には無理だという確信を持っている人のことです。信じられないのではなく、無理だと信じている人です。何故か、人間はネガティブな確信は簡単に出来てしまうものです。おそらくこれは、現状維持が最も生存率を上げるという生存本能でしょう。
洗脳、啓蒙、教育どのような言葉を使っても構いませんが、最終的にはそれが自分や周囲の人を幸福にするようなものでなければ意味がありません。人それぞれで感受性は異なるので、他人からの洗脳・啓蒙・教育によって幸せになる可能性は低いと言わねばなりません。いくら親や周囲の人間が良かれと思っていったことでも、最終的には本人が決断を下し、自分の望む方向へと自分を洗脳しなければなりません。今回はさわりだけを書いてみましたが、今後何回かに分けて、自分自身を洗脳する方法=自分の望む革新の作り方を書いていきたいと思います。

参考文献
苫米地英人著『洗脳護身術』
苫米地英人著『洗脳言論』
苫米地英人著『現代洗脳のカラクリ ~洗脳社会からの覚醒と新洗脳技術の応用』
ヴィクトール・エミール・フランクル著『それでも人生にイエスという』
無能唱元著『得する人』

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